ジゴロ

とうとうでました。「ジゴロ」問題です。

バリ島のジゴロ、といえばこれはもう、世界的に有名です。(ほんとか?)日本の週刊誌はネタに困ると「バリ島のジゴロ問題」をとりあげます。だけどそこに書かれている事柄にはなんら新しい話題も視点もなく、なにをいまさら、って記事ばっか。インターネットの掲示板でも、次から次へと新しい書き込みがあとをたちませんが、ひょっとしておんなじ人が書いてんじゃない?と思うこともあるような…「日本女性が現地の男性にだまされて捨てられる」なんて陳腐なストーリーに喜んでとびつく人たちの間には、「そんな甘い考えでうまくいくはずがない」っていう、他人の不幸は蜜の味的予定調和な残酷さを求める意地悪な気持ちがあることも確かだと思いますね。

実際どうなんでしょうねえ、バリ島のジゴロ問題。

ビーチエリアには確かに「ジゴロ」を商売とする輩がいるようです。あ、けどさ、だいたい「ジゴロ」ってなんなんだ?「ジゴロ」って、悪いものなのか?サガンの小説に「愛人」だったか、「ジゴロ」だったか、なんかそんなのがありますよね。そこに登場するのはお金持ちの、けれど初老にさしかかった女性と、若いジゴロ。あれなんか読んでると、「ジゴロが悪い」とは思えない。だいたいジゴロが悪だと言うのなら、ホストクラブは悪じゃないのでしょうか。ホストクラブは最初から合意の上、ジゴロの場合はそうとは言えないから悪い、というのならば、しかしあなた、ジゴロの手口、というか、その男がジゴロだということに気が付かなかった女の方に非はないのか?「ジゴロ」っていうか、「詐欺まがい」、いや、そのものズバリ「詐欺」だから被害にあった人は怒るのでしょうか。けどそれに気が付かなかった自分の責任は棚上げか?普通わかると思うよ、そういうの。だからね、「ジゴロ問題」に対して怒る人たち、これって自分の馬鹿さかげんを露呈してるだけなんじゃないかと思うんですけど。それにもまして私が不思議でたまらないのは、他人の問題に、「やれ騙された」だの「いまに騙される」だの、口をはさみたがる人たち。日本にだって探せばいっぱいこの手の問題が転がってると思うんだけど、そういうのはいいんでしょうか。なんでバリ島ばっか言われるわけ?ほっといてほしいわ。

とは言うものの、私は実際にはバリ島に棲息するといわれる正真正銘のジゴロ君たちを知りませんので偉そうなことは言えません。もしかしたらインターネットで実名出されてもしょうがないほど極悪非道なやつらなのだとしたら、今までそういう輩に出会わなかったわが身の幸運に感謝するだけです。けどさ、インターネットに実名出ちゃってる、日本で「ジゴロ」といわれてるバリ人で、私の知ってるやつも、実は片手じゃ数え切れないくらいにいるけど、はっきり言って彼らは私から見たらジゴロでもなんでもない。ただの調子のいいバリの兄ちゃんでしかない。そりゃさ、「あーあ、こいついい気になってんな」って思わないこともないわけじゃないけど、あそこまでボロクソ言われなきゃいけないほど、ひどいことをしてるとは思えない。またそういうやつらじゃあない。だからとってもかわいそうだと思うのよね。日本語が読めないことをいいことに、バリの男には人権はないのか、って感じることもしばしば。

うちのだんなにも常々言い聞かせているんだけど、もしうちのだんながどこかのレストランで日本人の女の子に声をかけたり、日本人の女の子をバイクのうしろに乗せてそこらへんを走っていたり、私が店に出ていない時に店に来た日本人の女の子に話しかけたりしたら、いつなんどき、うちのだんなの名前が掲示板に「ジゴロ」として登場するか、それはもう、実に限りなく現実になる可能性を含んでいる事柄なわけ。「某日本食のワルンの日本人女性も、だんなさんがあっちこっちで日本人の女の子に声をかけていることなど知らないのでしょうね。私は実はどこどこで彼女のだんなさんに声をかけられました。」みたいな感じで。ガイドブック片手になにやら思案しているお客さんがいたら、「どうしました?」「どこ行くの?」くらい、声かけてみたくなるのがバリ人というものなんだけど、日本人妻を持ったあなたは残念ながらそういうことをしたら、即「ジゴロ」と呼ばれる可能性があるのよ、と。あ〜なんかヘンな話だと思わない?

だったら渋谷あたりで道ゆく女の子に声をかける男の子はどうなわけ?田舎からでてきたいたいけな少女にうそ八百ならべて言葉巧みに勧誘して「モデルクラブ」と称したいかがわしい仕事を斡旋するお兄さんたちは、どうなるわけ?そういうほうが私はずっと罪が深いと思うよ。

で、声かけられた女の子も、たとえば渋谷歩いていて男の子に声かけられて、はい、つきあいました。そしたらその男の子は毎週渋谷で女の子に声かけてて、自分の他にそうやって声かけられてつきあってた女の子が片手では足りないくらいだったということがわかったとしたら、どうする?これはさあ、声高にその男の子を「悪いヤツだ」と紛糾するのは、はっきり言って自分が恥ずかしくないか?そういうのにころっといっちゃった、自分の「オトコ見る目のなさ」を反省するしかないんじゃないの?

で、これがバリだと、なんで「声かけたバリ人」が、まるでもう、「人間じゃない」かのような言われようをしなければならないわけ?納得いかないわぁ、アタシは。

ジゴロ問題はさておき、バリの男にころっとまいる日本人の女性は確かに少なくありません。それはどうしてでしょうか。今の日本、女が強くなっただの、男がだらしないだの、色々言うことはできるけれど、私はこういうふうにも考えます。バリの男にとって外国人の彼女、もしくは嫁を持つということは、彼らの人生をまったく変えてしまう、それこそ人生にかかわる大問題なわけです。これからの人生がかかっている大問題。だから彼らは必死になって口説きます。女口説くのに真剣になる度合いが日本の男とはまったく違うのです。

今どきの日本、いくら経済が停滞してるだの、失業者が多いだの、なんだかんだ言ったって、若い子だったらその気になりゃアルバイトくらい簡単にみつかると思います。アルバイトが見つかれば、遊ぶお金くらいはなんとかなる筈。考えてもみてください、ここバリ。そういうレベルじゃあないのです。

このあたりのこと、どれだけの人が、本当に理解しているかと考えると、やはり旅行で訪れる外国人にはこのあたりのこと、本当に理解するのは難しいと思います。日本という国と構造からして違いますからね、インドネシア。最近のバリはそうでなくてもみんないい車に乗っていたりするし街もきれいになったし、ひと昔前のような、「貧しさ」が前面にでるような場面にあまり遭遇しないようになってきました。その反面、道を歩いていて物乞いの姿、よく見かけるようになったと思いませんか?昔はクタあたりにしかいなかったのに最近はウブドにも増えてます、物乞いの女子供。よく言っていることですがインドネシア、金持ちはどんどん金持ちに、貧乏人はどんなに頑張ってもずっと貧乏人、という図式ができあがってしまっています。まじめにこつこつ働いてお金を稼げるところじゃあありません。貧乏を脱出するには、最初にとにかくまとまったお金が必要です。が、まとまったお金など、日々の生活にも事欠くバリの普通の人々の暮らしの中で、どうやったら手にいれることができるのでしょう。だから男たちは外国人の女をターゲットにするのです。貧しい暮らしから抜け出すために。

これだけ経済を取り巻く状況が違う中で、外国人の彼女、もしくは嫁を持って、バリの男やその家族が、外国人の嫁の金をアテにするのは当たり前です。日本人の給料はへたしたらバリ人の年収に相当します。どうしたってこちらが金をださないわけにはいかない。そんなこと当たり前です。けれど日本で言われるバリのジゴロ談義は、このあたりの経済構造の基本的問題を最初からまったく無視した上で、日本的な価値観、日本的な常識に基づいて、バリの男やバリの社会を故意に貶めようとしているものが多いように思えます。

外国人はここに住むだけでお金がかかります。たとえバリの男と結婚したとしても毎年配偶者ビザのお金を払わなければなりません。普通のバリ人の給料で払えるような額じゃありません。どうしたって外国人妻の金をアテにするしかないのです。まとまった額のお金を銀行に預けて金利で生活できる時代はここバリでも残念ながら、もう終わっています。ここでの生活を考えた時に、どうやって暮らしていくのか、どうやって生活に必要なお金を作っていくのか、そういう問題が浮かび上がってきます。

よほどのお金持ちの御曹司ならいざ知らず、たいていのバリ人は、その日暮らしです。貯蓄があったとしても吹いて飛ぶような額でしょう。まともに働いていても、毎月の給料がたかだか5000円程度で、どうやって外国人嫁を養っていけるでしょう。そういうわけでまず外国人嫁をもらうと、最初にいくらかの嫁の資金を元手にして、店やバンガローを建て、生活の基盤をつくるのが普通です。そうなるとこのバリ人の男、友達連中から羨望と、なかばやっかみをこめて、「ボス」と呼ばれるようになります。ただでさえ、金を持ったことのない人間がいきなりお金を持ってしまったらどういうことになるか。ここから多くの問題が起こってくる場合も確かにあります。そしてこの構造を悪用して、詐欺を働く輩というのも確かに存在します。これがいわゆる、バリで「ジゴロ」と言われている種類の輩であり、「ジゴロ問題」と言われる問題、なのですね。

外国人の女とつきあって、いい気になっているバリ人の男っていうのは確かにいます。あくまでも私の意見ですけど、だいたいバリ人っていうのは「働く」ということの本当の意味を知らないと思います。仕事っていうのは、自分がどんなコンディションであろうと、毎日ある一定の状態をキープして継続していくべきものだと、私は日本での経験から学んでいます。けれどバリ人は、仕事があれば3日徹夜しても平気なんだけど、雨が降っても気分がすぐれなくても毎日決まった時間に職場へ行くということを嫌う人が多いです。けれどこれも、バリの状況の中ではしかたのない部分もあるのです。なぜなら、毎日決まった時間に仕事に行ってまじめに8時間働いて、得られる給料が5000円。ある日道端でお客さんを捕まえてトランスポートして一日で得られるお金がそれと同じ。ここは、そういう仕組みでできている社会なんですから。どうしたって、こつこつなにかをして、信頼を積み重ねて、というような考え方から離れていくのはしかたがない。「働く」ということの意味を知らないのですから、いきなりバンガローやお店ができちゃったら、それだけで自分が偉くなっちゃったと勘違いしちゃうんです。子供と同じですね。それもこういう環境で育ってきたのだから仕方がない。こういう男とつきあったからには、こちらも「春団次の妻」(わからないか?)になった気持ちで根気よく男を育てていくしかないと思います。

バリの男と恋愛しようと思ったら、ほんとだったらそこまでの覚悟をこっちも持たなくちゃいけないと思います。そりゃ最初からそれだけの覚悟して恋愛はじめる子は少ないかもしれないけど、いろいろなことがわかってくるに従って、こっちだって腹据えて覚悟決めなくちゃいけない事柄がどんどん現れてきます。お金をどこまで出すか、とか。かなり、突きつけられる問題が最初から浮上してきます。

バリの男とつきあう場合、少なくとも結婚を考えるならば、自分のお金を出すのならば、最初にこの「楽園」と言われる島の現実をきちっと知る必要があると思います。バリの男と結婚するというのは、あなたが、その男とその男の家族を、「幸せにしてあげる」ということと、ほとんど同じ意味を持つのですから。「幸せにしてほしい」なんて受身の姿勢じゃだめなわけです。

バリのジゴロにだまされた体験談っていうの読んでると、ほんとに情けなくなるほど日本の女の子たち、つめが甘いと思ってしまいます。言っとくけどここは南の島ですから。宗教色が色濃いことに驚いちゃってそこにころっとだまされて、「神様をこんなに信じている人たちに悪い人がいるはずがない」みたいなことを言う人がよくいるけど、ちゃんちゃらおかしい、ですから。ここの人たち、「神様にうそをついてはいけない」けど「人間にうそをつくのはかまわない」ですから。宗教のタブーが強いから、村社会の縛りがきついから、男女関係も明治時代の日本のようだ、なんて考えてたら大きな間違いですから。他に娯楽がないんだから、やることはやってますから、早いうちから。日本人の方がずっと奥手です。そしてずっとずっと「常識的」です。(それは日本の常識に対して、ということですけど)ちゃんと最初からそこんとこ自覚しといた方がいい。だから甘い甘い言葉で囁かれて、南の島の濃密な空気の中で、いきなり恋愛モード全開になっちゃったりしても、それはけして恥ずかしいことではないんだけど、だけど自覚しておいた方がいい。もしかしたらその言葉、嘘八百かもしれないから。そいつ結婚してるかもしれないから。子供いるかもしれないから。

じゃそういうのに対してこちらはどう振舞えばいいのでしょうか。「まず外堀を埋めよ」バリ人っていうのは仲間の悪口はけっして言いません。だから「あの子ってどういう子?」と仲間に聞いても、まず本当のことを教えてくれる人はいないと考えておいていいでしょう。もしその子に「日本人の友達」がいる場合、その日本人に聞くのが一番いいと思います。結婚しているのか、日本人の恋人がいるか、以前恋愛関係もしくは金銭がらみの問題でトラブルを抱えたことはあるか、などなど。日本人の友達がいない、もしくは紹介してくれない場合は、なるべく彼のテリトリーに近いところに出没するようにするっていうのがいいでしょう。家族に会う時はよおく目を光らせて。家族の中に、関係がよくわからない女の人がいないかどうか。「あいつはもしかして奥さんか?」はじめて家に行く時は、全身「騙されないぞ」オーラでばしばしにしましょう。たとえ最初の第一印象が悪くなろうともそのくらいの気持ちでちょうどいいんだと思います。もしくは彼の仕事場。遊び仲間の男連中。そういうところに彼女であるアナタを連れて行くのは、男としては最初は嫌がるかもしれないけれど、嫌がられてもめげずにそういうところへ顔を出しましょう。突然家へたずねていくっていうのもいいでしょう。しょっちゅう家の近くを歩いてみとか。あなたを見て、彼のバンジャールの人がどういう反応を示すか、これポイント高いです。ひとつひとつ注意深く観察して、ちょっとでも「おかしいな」と思ったことは忘れないように覚えておきましょう。ここでむりやり自分の都合のいいようにものごとを解釈しないように気をつけてください。都合の悪いことがあると向こうは必死でつじつま合わせてストーリーをつくりあげようとするだろうけれど、それを頭から信じ込むことが一番危ないのです。相手の気持ちと自分の気持ちの熱さ冷たさが同じではない場合、片方は取り繕うとします。そうしてそういう場合の日本人の女の子見てると、なんの疑いも持たずに相手の男の言い分を黙って信じている場合が多いです。つじつまの合わないことも、取り繕ってほしいと思っているのですね。私を騙して、って言ってるにも等しいです。けど、この段階で冷静に観察できなければ、一生後悔することになる、本当はそのくらいの気持ちでいるべきだと思います。なんせバリ人、人に嘘つくことは別に悪いことだと思ってませんから。

よく、バリ人と恋愛初期段階にある日本人の女の子が、「もう、なにがなんだか言ってることがちっともわかんないの」って言うことがあるけど、私は思うんだけど、言ってることがちっともわかんない、っていうのは、その男、間違いなくどっかで嘘ついてます。これはビジネス関係の詐欺の場合もおんなじで、「説明されてもインドネシアの法律って日本と違うからよくわからないんですよね」そんなことはありません。きちんとしかるべきところでしかるべき人をたてた場合、「よくわからない」のではビジネスになりませんから。「何言ってるかわかんない」人っていうのは、たいてい「嘘ついてる」と思って間違いないです。

それでは次に、そういういろんな問題をクリアした、としましょう。これは大丈夫そうだ。そこまでわかって、じゃあこいつとつきあってみようか、ということになるとします。ここでも私はいいたいです。恋愛はあくまでも「自己責任」です。「私はそんな気はなかったんだけど彼がどうしても、って、気がついたらつきあうことになっていた」みたいなパターンが、どうも世の中の女の子って大好きみたいです。舞踏会に行くのに着飾っていたお姉さんは選ばれず、家の掃除をしていたシンデレラが王子様にみそめられる、みたいなパターンに自分をあてはめたいようです。自分からオーディションに応募して芸能界に入るより、友達と街を歩いていたら偶然プロダクションの人の目にとまってあれよあれよという間に一夜明けたらスターになっていた、っていうのがいいわけです。まあね、その気持ちはわからないではないです。けどはっきり言います。それは限られた、本当に美しい、ごくごく一部分の人の話です。あなたは宮沢りえですか、中谷美紀ですか?そうだとすれば、まあ納得しましょう。でも、違うでしょ!!たいていの普通の人間は、だまって座っていて、明日シンデレラにはなれないのです。幸せになりたければ幸せは自分からつかみにいかなくっちゃ。恋愛にしても同じ。逃げ道を残して男とつきあうのは潔くありません。特にバリ人とつきあう場合、うまくいかなくなった場合彼らはほんと、信じられないような、とても彼らにしか通用しないような常識を振りかざしてきますから。嘘つきまくり、ですから。そんな時に「あなたがあの時ああ言ったから、信じて私はつきあったのに」なんて、安い少女小説みたいな台詞吐くのはねえ、これはもうはっきり言ってみっともよくありません。恋愛は自己責任です。ここんとこ、しっかり覚悟しましょう。

こうやってひとつひとつ問題を自分で考えて、クリアして、そうしてバリ人とつきあった女だったら、たとえその相手とうまくいかなくなったとしても、あとですべてを相手の男のせいにしたり、ましてやインドネシアという、日本に比べて経済的な発展の遅れているこの国の事情まで持ち出して、この国の、この島の民族性をいたずらに貶めるような発言をするわけがない、と私は思います。そこまで考えていなかった人間が、そういう発言をするのだと思います。そういう発言をすること自体が、自分の未熟さを露呈している本当に恥ずかしいことなのだということをまったく自覚していないのですね。

バリの男は自分の人生を賭けて外国人の女を口説きにかかります。こっちが「南のリゾートのアバンチュール」などと軽い気持ちでいた場合、どちらが役者が上か、それは火を見るよりも明らかです。わかっておきましょう、日本の女たち。

そうして私も口説かれたクチです。口説き倒されてここで結婚してる日本人女性、ご承知のとおりたくさんいます。30年以上に渡って、ここにしっかりと根をはってたくましく生きている「地上に降りた最後のランダさま」のような女将もいます。けして王子様に見初められたシンデレラではありません。ガラスの靴はいて優雅に踊ってる時間なんてありません。汗だくになってみんなここで自分の居場所を確保しようと日々みっともなくも格闘してます。骨折にもウィルス性結膜炎にもチフスにもデング熱にもマラリヤにも負けません。バリ人と恋愛するっていうことは、そういうリスクを自分で負うっていうことなんだと思います。

けれどそこまでしても、そこはやっぱり男女の仲。いつなんどき、どんな結末になるかは神のみぞ知る。残念なことに、不幸な結末を迎えたとしたら…。ここに至って、金返せだの、車返せだの、バイク返せだの、挙句の果てはその相手の男や家族の悪口をあちこちで吹聴する人というのがいます。そういうのは見ていて気持ちよくありません。ついこの間までその彼女が相手の男に夢中だったりなんかしているのを知っていればなおさらのことです。バイクくらいあげておやりなさい。車くらい、あげておやりなさい。家くらい…いやしかしこのあたりになるとやはりかなり深刻な問題になってくると思います。だからこそ、最初が肝心なのです。

バリの男と一言でくくること自体実は大きな間違いで、日本の男だって、いろいろいるでしょ。それと同じ。バリの男だって色々います。極悪非道な輩は、いたとしてもほんの一握りでしょう。いや、ごめん、私は知らないからよくわからないのだけど、少なくともネット掲示板で取りざたされている「ウブドのジゴロ君」たちのうちの何人かは、私が知っている限り、ジゴロでもなんでもありません。それはここに断言しておきます。

こんなかわいい愛すべきヤツらが極悪非道の人間のように言われている現在のバリ島ジゴロ問題、うがってみれば、バリのオトコと現在つきあっている女たちが、ひとりでもライバルを減らすべく、ないことないこと書き立てて、バリのオトコのイメージをわざと貶めようとしてるんじゃないか、なんて考えたくもなるんですけど。

ま、ね、こういう問題には誰もが納得する結論なんかないんだし、恋愛問題というのはとてもパーソナルなものだから、パターンにあてはめてどうこういえる問題でもないのだし、各自で考えていただくしかないのですが、うまくいかなかったからって、怨念をぶつけないでいただきたいものです。ましてやバリとバリのオトコの悪口を言うなんてもってのほか。いつまでもうれしがってバリ島のジゴロ問題をとりあげる週刊誌やテレビも、レベルの低さを露呈しているだけにすぎないということを、そろそろ自覚していただきたいと思います。現実のバリはジゴロ問題なんかより、とっくに「次の」レベルへ行っちゃってるんですから。え?それはなにか、って?教えてあげない。

2006年4月20日


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